極真会館 大分県支部

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イベント

沖縄空手体験記(その7)
 

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その7「沖縄空手の道場へ(沖縄剛柔流)」
 次に訪れたのは沖縄剛柔流空手順道館。金城常雄先生(範士9段)のご指導を受けました。金城先生は海外在住が長く英語が堪能なため外国からも多くの練習生が指導を受けに来ていました。今回は、空手ツーリズムのエージェントに紹介して貰ったこともあり、ほぼマンツーマンに近い形で休憩なく約3時間ご指導いただきました。
また、空手の道場の練習というと、指導者が前に立ち、全員が整列し同じ動きをするというイメージがあるかもしれませんが、こちらの道場は、それぞれが数人で練習し、先生や先輩が個別に指導するというボクシングジムのような稽古スタイルでした。
まず、最初に驚いたのが金城先生は70歳を超えた年齢ながら、技の動きが恐ろしく速いことでした。特に、相手の攻撃を捌いてからの反撃のスピードが尋常ではなく、あっという間に技を入れられてしまいます。特に関節を極めて制するまでが一瞬です。
また、剛柔流ということで極真空手と共通する型も多かったため、私の演ずる4種類の型を見て頂き、その後、沖縄剛柔流の型を演じていただき違いを説明していただきました。私の型が書道でいう楷書なら、先生の型は草書でした。
 競技用に整えられた型を練習することも十分意味があると思いますが、本来の型の動きを知るということも空手の奥深さを知るという意味で大変有意義なものでした。
 なお、同じタイミングでフルコンタクト系の空手の指導者が習いに来ていましたが、その方の道場では型の練習がほとんどないらしく「若いころは組手ばかりで良いが、年を取ると型を知らないとどうしようもなくなる」と嘆いていました。
 型の練習の後は巻き藁を使った寸頚(すんけい。数cmの距離から威力ある攻撃を出すこと)の技を見せていただきました。私も似たようなことはできますが、早さというか威力が見ていてわかるほど凄まじく、どういう体の使い方をしているのだろうと驚嘆しました。
 稽古後は、食事もご一緒させていただき、これまでの修行や指導についてお話をお伺いしました。話の中で時折発せられる、「私なんてまだまだ未熟者ですから」という先生の言葉に求道者の謙虚さを垣間見ました。この空手に対する姿勢は三村忠司師範からもいつも感じています。一流になればなるほどその道に終わりがないということが見えてくるのでしょう。

その8に続く。
 

沖縄空手体験記(その6)

その6「沖縄空手の道場へ(小林(しょうりん)流)」
 翌朝に訪れたのが沖縄小林流拳士会総本部です。
こちらは空手ツーリズムを行うエージェントに紹介してもらいました。
嘉数嘉昌先生(10段範士)のご指導を受けました。
稽古前のウォーミングアップと言ってバーベルを使ったサーキットトレーニングが30分ぐらいあり、80歳近い嘉数先生は毎日こなしているということで驚きました。
また、この道場の特徴として、60代~70代の女性の方が数多く練習に来られており、休憩時間には珈琲や茶菓子が配られるという和やかさがありました。
その一方で嘉数先生は元警察官で地元の顔役でもあったため、底知れぬ迫力があり、多くの流派の方が教えを受けに来るそうです。
今回もたまたま、私が空手を通じて以前から交流があった方の知り合いの方が稽古に来られており、良いつながりができました。
稽古では、小林流の基本であるナイハンチの型などをご指導いただきましたが、小林流の特徴でもあるムチミ(体を鞭のようにしならせる)を使う動きが新鮮で、沖縄空手っぽいなあと思いながら稽古をしていました。
小林流には多くの型がありますが、「平安1~5までをしっかりやっていれば全ての型が出来るようなっている」と嘉数先生がおっしゃっていました。これは私も自身の経験で実感しており、難しい型の動きを平安1~5までの中に昔の達人たちが見事に入れ込んでくれているのです。
最近は大会や審査用に多くの型が練習されていますが、少なくとも最初の10年くらい(もしくは黒帯取得まで)は平安1~5をやり込むことの方が大事ではないかと思います。
嘉数先生からは生涯の空手道を追究する気迫を感じさせていただきました。

その7に続く。

沖縄空手体験記(その5)

その5「沖縄空手の道場へ(上地流)」
 雑誌の企画内で沖縄空手の達人に会うことは出来なくなりましたが、諦めきれない私は沖縄空手会館内にある沖縄空手案内センターを訪ねました。そこで、以前から興味のあった「上地流(うえちりゅう)」の道場を紹介してもらいました。
 上地流は大分県内ではあまり聞きませんが、沖縄空手三大流派の一つで、開祖の上地完文が中国に渡り、現地の武人から伝授された拳法がもとになっているため、他の沖縄武術とは動きや構えが違います。
 また、型は八つのみであり、指先、足先など手足の先端を鍛練し武器として使う攻撃が特徴的です。防具をつけずに直接打撃を加えるというところは極真空手と通じるところがあります。私が訪問したのは上地流空手道那覇南修武館。島袋春吉先生(八段教士)にご指導いただきました。
(なお、他流派への出稽古では礼儀として特段の指示がない限り白帯を付けます。(道着も流派名がない無地のものが理想)また、どこの道場でも出稽古が出来るわけではありませんので注意してください。)
 島袋先生は極真空手のことも詳しく、約30年前に沖縄で開催された極真空手の九州大会の際に大山総裁の話を聞ききに行ったとおっしゃっていました。(私も高校生の部に出場していました)
 さて、上地流は、構えや動きが普段やっているものとかなり違うため苦戦しましたが、映像でしか見たことのなかった上地流の稽古が体験できて大変楽しいものでした。
 印象的な稽古としては、小手鍛えというものがあり、これは相手の突きを捌いて、そのまま手首を掴み、自分の前腕で相手の前腕を思いっきり叩くことを繰り返す稽古です。腹筋や太ももを攻撃されることには慣れている私も、腕の一点を繰り返しひたすら叩かれるという経験はなく、かと言って痛いから止めてくださいとも言うわけにもいかず、後で腕がパンパンに腫れました。
 また、甕(かめ。つぼ)を持って移動する稽古がありますが、甕が掴みにくく、握力が無くなっていくためこれも大変苦戦しました。後で調べると両手と背中を一体化して持つと長時間持てるようです。普段は教えるばかりなので、自分が出来ないことを教えてもらうということが新鮮でした。
 なお、稽古後に高段者の方と話をしていたら、昨年東京で開催されたツーリズムEXPOの会場で名刺交換をした沖縄県庁の空手振興課長さんだということが分かり、「300以上ある沖縄空手の道場の中でよくもピンポイントでこの道場に来ましたね!」と再会を喜びました。ちなみに、沖縄県は空手による観光に力を入れているため県庁内に空手振興課が日本で唯一あります。
 この出会いは、流派は違えど空手を続けていたからこそ生まれたものです。こうして約3時間の上地流の稽古を終えました。

その6に続く。


 

沖縄空手体験記(その4)

その4「いざ沖縄へ」
 私が沖縄へ出発する日の前日に旅行会社から「台風直撃の恐れがあるため、今回の沖縄空手の達人に学ぶツアーを中止します」という連絡が入りました。
仕事も調整し、久しぶりに取れた連休だったので、相当がっかりしたのですが、飛行機のチケットも取っていたためとりあえず沖縄に行くことにしました。
結果、台風は逸れ、首里城やひめゆりの塔などを沖縄在住の友人と観光することが出来ました。
ところで、沖縄(豊見城市)には空手愛好者には必ず訪れてもらいたい「沖縄空手会館」という施設があります。
これは、沖縄県が沖縄空手は世界に通じる財産であり観光資源だということを提唱し、沖縄空手の歴史を学べるミュージアムや稽古ができる武道場などを併設した施設です。
ミュージアムの中には沖縄空手の達人の紹介コーナーがあるのですが、先ほど名前が出た東恩納寛量、宮城長順、許田重発などと並び、近年の空手の達人紹介コーナーに極真会館創設者の「大山倍達」の名前がありました。
これはとてもすごいことで、沖縄空手関係者が違うグループ(フルコンタクト空手界)の大山総裁の存在を認めているということであり、他のフルコンタクト空手関係者の名前はありませんでした。
また、沖縄空手会館では、瓦割りにチャレンジするコーナーがあり、私が新記録を作ってきました。
なお、最近は試割り用瓦というものがあり、簡単に20~30枚ぐらい割れます。こちらの瓦は再利用可能なプラスチック製でしたが、通常の瓦と同じぐらいの強度と言っていました。
最近は演武会などの機会が少なくなりましたので、試し割りを見たことがない人も多いでしょうが、試し割りは空手の威力を示す良い方法だと思いますので、怪我をしないように部位鍛練などをしてチャレンジしていただきたいと思います。
ちなみに、私が空手着を着ていたため、沖縄空手会館に遊びに来ていた外国人観光客から一緒に写真を撮ってくださいとよく声をかけられました。
イタリア人の小さな女の子が、「I do Karate.」と話しかけて来たのが可愛かったですね。Karate は世界の共通語です。

その5に続く。
 

沖縄空手体験記(その3)

その3「極真空手と沖縄空手」
 極真空手に入門してからというもの、私は極真空手に夢中になりました。
大山総裁の内弟子出身であり、当時国内最年少で大分県支部長に就任した三村忠司師範、大山総裁にその技の美しさ・正確さを認められ海外での指導などによく派遣されていた三村政史師範(現福岡東支部長。当時、大分支部師範代)の教えを直接受け、その強さ、美しさに驚きと憧れを持って稽古していたことを思い出します。
その後も大山総裁の秘書兼通訳として世界中を同行した三村恭司師範からも可愛がっていただき、極真空手や大山総裁が世界に通じるものだということを学ばせていただきました。
その後、私は多くの大会に出場し、選手を引退してからも道場で長年指導してきましたが、大山総裁がそうであったように、私自身も他の格闘技、武道、スポーツの研究をすることが好きであったため、当然沖縄空手にも注目していました。
しかしながら、冒頭でも書いたように当時は他の流派の空手の道場に稽古に行くことはご法度であり、DVDや本などで学ぶしかありませんでした。
そんな中、2020東京オリンピックを契機にオールジャパンで日本の空手を盛り上げていこうという動きが生じ、極真会館もその流れをいち早く掴むとともに、原点回帰という意味もあり、型の中に剛柔流の動きなどを取り入れるようになりました。
そして、沖縄空手を学ぶチャンスを探していた矢先、武道雑誌の企画で沖縄空手の達人に学ぶ機会があることを知ったのです。
三村師範に私の思いを伝えると、「良い機会なので、沖縄に行って本物(極真空手のルーツにもなる)の空手に触れてきなさい」と温かく送り出していただきました。

その4に続く。
 

沖縄空手体験記(その2)

その2「私と沖縄空手の出会い」

 私は極真空手を30年以上修行していますが、子供の頃は実家の目の前に住んでいたおじさんに別の流派の空手を習っていました。
当時は空手に沢山の流派があることも知らず、ただただそのおじさんに週2回、近くの公民館で空手を習っていました。
その後、父親の勧めで現在の極真会館に入門するわけですが、大学生の時にふと本屋で目に止まった空手雑誌を見てびっくり。子供の頃に空手を習っていたおじさんが表紙を飾っているではありませんか。
その時初めて、私が空手を習っていたのが、沖縄空手の達人許田重発(きょだ じゅうはつ)の教えを受け継いだ東恩流(とうおんりゅう)3代目宗家神崎和也(重和)先生だということを知ったのです。
大山総裁も学ばれていた伝統派4大流派の一つ剛柔流は、宮城長順(みやぎちょうじゅん)を流祖としていますが、宮城長順の師は東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)という方です。
そして、東恩納寛量には二人の高弟がいて、その一人が宮城長順、もう一人が、兄弟子にあたる許田重発(東恩流流祖)です。
つまり、沖縄に残って(本土にもよく訪れていたようです)剛柔流を起こし、世界に広めた宮城長順に対し、大分県別府市に沖縄から移住し、限られた門弟だけに東恩流空手を伝えたのが許田重発であり、その教えを受け、3代目を継承した神崎先生がたまたま私の別府の実家の目の前に住んでいたことにより、私は知らない内に沖縄空手を学んでいたのです。
 当時、神崎先生がおっしゃっていた「握り方3年」「立ち方3年」「三戦(さんちん)に始まり、三戦に終わる」などの言葉が今でも頭に残っています。
また、「空手は一生続けるものなので子供の頃は型の練習だけで良い」という指導方針のもと、私は小学生の頃は組手の練習など一度もしたことがなく、ひたすら型の練習をしていた記憶があり、これが空手なんだと思っていました。
 そういう練習がひたすら続くため、私の父が見ていて物足りなくなり極真空手に入門させたのは自然な流れだったのかもしれません。

その3に続く。
 

上原秀雄三段の沖縄空手体験記(その1)

 大分県支部所属の上原秀雄三段が令和5年8月30日~9月3日まで空手発祥の沖縄県で沖縄空手を体験してきましたので、その体験をレポートいたします。

今回は、その1「空手のルーツ沖縄」編です。

そもそも空手は、沖縄(琉球)独自の「手(ティー)」と呼ばれる武術に中国(唐)から伝わった拳法がミックスされ唐手(トゥーディー)となり、本土に伝わる時に「空手」となったと言われています。
 また、空手は、柔道や剣道と異なり多くの流派があります。(柔道、剣道も柔術、剣術の時代は多くの流派があったようですがそれぞれの歴史の中で現在の体系ができあがっています)。
我々の所属する極真会館も空手の一流派ですが、一つの武道団体が単独でここまで大きな大会を開催できることは希であり、故大山倍達総裁(以下「大山総裁」)が創設したフルコンタクト空手の草分け的存在である極真空手が世界中にその価値を認められている証拠でもあります。
正道会館や芦原会館などのフルコンタクト空手の各流派は極真空手から分かれて設立されたものであり、他の流派であっても極真空手の影響を受けていないものはないのではないでしょうか。
また、多少の差異はあるものの「手技による顔面攻撃無し、蹴り有りの直接打撃制(金的などの急所攻撃は禁止)」のフルコンタクト空手ルールは、今では当たり前のように各種フルコンタクト空手の大会で採用されていますが(フルコンルールが極真発祥ということを知らない人も多いようです)、このルールは極真会館が考案した安全性と実戦性のバランスが取れた非常に優れたルールであり、空手界にとって大きな発明だったと言えるでしょう。
 一方、フルコンタクト空手ではなく、寸止め(当てる直前で止める)もしくは防具を付けてのポイント制で組手試合を行う「伝統派空手」があります。
 伝統派空手には剛柔流、松濤館流、和道流など多くの流派があり、それぞれの流派ごとの大会もありますが、統一のルールでの全日本選手権大会なども開催されています。
 こちらのルールは国体やオリンピックなどで採用されたルールであり、ノックアウトやダメージを与えることで勝敗を競うものではなく、出入りのスピードと安全性に重きを置いたものとなっています。
 フルコンタクト空手も伝統派空手もそれぞれ優れた点があり、相互の長所を学ぶべきですが、双方の主義主張が異なることから(伝統派は「空手は一撃必殺なので直接当てたら危ない」、大山総裁は「実際に当てて相手を倒さなければ強さは証明できない」)、長年相互の交流はほとんどありませんでした。
 しかしながら、2020東京オリンピックに空手競技を採用しようとする動きがあった際に、日本国内の空手関係者が流派・ルールの壁を越えて一致団結するべきだという声が高まり、極真会館と伝統派各流派で構成される全日本空手道連盟が友好関係を結びました。
 これにより、極真空手の選手が伝統派組手ルールを体験したり、伝統派の形の選手が極真会館の大会で演武をするなど双方の交流が始まりました。(これをきっかけに極真空手にもセミコンタクトルールによる大会が開催されるようになりました)
 ところで、空手を競技として行う以上、安全性への配慮から「ルール」「禁じ手」というものが存在するのですが、沖縄で生まれた元々の空手は、「禁じ手」というものがなく、相手をいかにして倒し、自分の身を守るかという生死をかけた技術と知恵の結晶だと言われています。
 その分、危険な技も多く、師が人物・人格的に認めたものにしかその技術を伝えなかったため、その技の継承は限られた者だけに人知れず深夜などに行っていたそうです。
 そのような本来の空手の中にある危険な技は組手試合ルールからは外されていますが、実は「型(伝統派では形)」の中に残っている、というか隠されていると言われています。
 それもそのままの形ではなく、少し変形させたり、単純化したり、安全な形に変えているものも多いと言われており、試合で演じられている型に隠された、本来の動きの意味・解釈・身体操作を理解できている人は少ないのではないかと私は考えています。
 いずれにしても、フルコンタクト空手であれ伝統派空手であれ、それぞれの解釈によりルールは異なっていますが、ルーツは沖縄空手です。
 大山総裁も極真空手創設前に剛柔流や松濤館流を学ばれており、総裁の若い頃は沖縄空手オリジナルに近い、実戦的な型や技を用いたのではないかと推測できます。
 そこで空手発祥の地である沖縄を訪れ、普及用や試合用に変更される前の型や技を伝える各流派の達人の教えを受けることにより、空手のルーツを学ぶため、長年の夢であった沖縄空手体験の旅に出かけることを決意しました。

その2は「私と沖縄空手の出会い」です。
お楽しみに!

 

立箱初段ヒマラヤ登頂に成功

 大分県支部出身で現在静岡富士支部に所属している立箱由佳初段が長年の夢であったヒマラヤ登頂を成功させましたので、ご紹介いたします。
 夢を諦めず目標に向かって努力することは素晴らしいことです。
心からお祝いの拍手を送ります。立箱初段おめでとうございます!
 
【ヒマラヤ登頂レポート】
 私は極真空手に入門した時と同じ頃から、趣味で登山を続けております。山は大きく、自然の偉大さを前に人の小ささを感じます。また、今自分は生かされているのだという想いと、日常があるのは当たり前ではないということを教えてくれます。
 
私が22歳の頃、世界的な登山家、大分県出身の戸高雅史さんと出逢いました。戸高さんはヒマラヤ山脈を13年登り続け、K2(8611m)単独無酸素登頂など、8000m峰4座を無酸素で登った世界的なクライマーでした。戸高さんと出会ったのをきっかけにヒマラヤに強く憧れ、私も登りたいと思うようになりました。
しかし親は心配からか反対し、海外の山へ行くことを認められるまで8年掛かりました。そのあとは大怪我をして手術、リハビリで数年。そしてコロナウイルスの流行があり、私にチャンスが巡ってくるまで15年掛かりましたが、2023年春ついに夢のヒマラヤに登ることができました。
 
日本人のガイドと一緒に海外の登山が出来るアドベンチャーガイズというところのツアーに参加しました。日本のガイドさんと現地のガイドさん、私ともう一人の参加者4人の小パーティでの22日間の旅です。目指すは6090mの山、ロブチェ・イースト。
 
ネパールのカトマンズからヘリでルクラという町へ。ここから、キャラバンと呼ばれるエベレスト街道の旅が始まります。高度順応といい、出発地点の標高2800mから少しずつ高度を上げて体を薄い酸素に慣らしてゆきます。7日掛けてロブチェイーストの登山口に一番近い村(4930m)に着きました。4月24日、標高5500mのキャンプへ上がりました。酸素は地上の2分の1で、靴を履くだけで息切れがします。
 
翌4月25日、山頂アタック。4時に出発し雪の中を歩き氷河を渡り、そこから40~50度くらいの斜面をロープを使って登ります。ロープは山頂直下まで何十と続きます。この頃から咳が止まらなくなりました。
6000m近くなると薄い空気の為か5秒程意識を失い、また目覚めて10m登ってまた気を失うのを30回くらい繰り返したと思います。だんだん次の意識消失が来る前に登らないとという極限状態でしたが、仲間やシェルパさんの励ましで11:25、山頂へ辿り着きました。仲間に抱きつき号泣、こんな嬉し涙は人生で初めてでした。
 
 今回の挑戦に、沢山の人たちが応援の言葉を掛けて下さり私に力をくれました。その全てに感謝の気持ちでいっぱいです。
 

2023年 春期強化合同練習

2023年 春期強化合同練習
開催日:令和5年3月19日(日)
場 所:宇佐市総合運動場 武道場

 大分県支部と福岡県東支部合同の強化合同練習が開催されました。今回の内容は、組手・型の交流試合と帯別のグループ稽古を行いました。
初級の部は、基本動作の理解。中級の部は、型とミット稽古。上級の部は、型「抜塞」と倒すための突きの稽古を行いました。
久しぶりの福岡県東支部との交流稽古、皆さん充実した時を過ごしました。

遠方から合同練習に参加された皆様、お疲れ様でした。

合同練習の様子は、コチラの写真ギャラリーをご覧ください

指導員型講習会

指導員型講習会

令和5年2月26日(日)三村忠司師範、三村政史師範直接指導のもと、大分県内の指導員を対象とした型講習会を開催しました。型「抜塞」を中心に動作の解説・ポイントを掘り下げて学びました。
各自、自己研鑽に励むとともに、正しい基本動作、体の使い方の指導に役立ててください。

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