立箱初段ヒマラヤ登頂に成功
大分県支部出身で現在静岡富士支部に所属している立箱由佳初段が長年の夢であったヒマラヤ登頂を成功させましたので、ご紹介いたします。夢を諦めず目標に向かって努力することは素晴らしいことです。
心からお祝いの拍手を送ります。立箱初段おめでとうございます!
【ヒマラヤ登頂レポート】
私は極真空手に入門した時と同じ頃から、趣味で登山を続けております。山は大きく、自然の偉大さを前に人の小ささを感じます。また、今自分は生かされているのだという想いと、日常があるのは当たり前ではないということを教えてくれます。
私が22歳の頃、世界的な登山家、大分県出身の戸高雅史さんと出逢いました。戸高さんはヒマラヤ山脈を13年登り続け、K2(8611m)単独無酸素登頂など、8000m峰4座を無酸素で登った世界的なクライマーでした。戸高さんと出会ったのをきっかけにヒマラヤに強く憧れ、私も登りたいと思うようになりました。
しかし親は心配からか反対し、海外の山へ行くことを認められるまで8年掛かりました。そのあとは大怪我をして手術、リハビリで数年。そしてコロナウイルスの流行があり、私にチャンスが巡ってくるまで15年掛かりましたが、2023年春ついに夢のヒマラヤに登ることができました。
日本人のガイドと一緒に海外の登山が出来るアドベンチャーガイズというところのツアーに参加しました。日本のガイドさんと現地のガイドさん、私ともう一人の参加者4人の小パーティでの22日間の旅です。目指すは6090mの山、ロブチェ・イースト。
ネパールのカトマンズからヘリでルクラという町へ。ここから、キャラバンと呼ばれるエベレスト街道の旅が始まります。高度順応といい、出発地点の標高2800mから少しずつ高度を上げて体を薄い酸素に慣らしてゆきます。7日掛けてロブチェイーストの登山口に一番近い村(4930m)に着きました。4月24日、標高5500mのキャンプへ上がりました。酸素は地上の2分の1で、靴を履くだけで息切れがします。
翌4月25日、山頂アタック。4時に出発し雪の中を歩き氷河を渡り、そこから40~50度くらいの斜面をロープを使って登ります。ロープは山頂直下まで何十と続きます。この頃から咳が止まらなくなりました。
6000m近くなると薄い空気の為か5秒程意識を失い、また目覚めて10m登ってまた気を失うのを30回くらい繰り返したと思います。だんだん次の意識消失が来る前に登らないとという極限状態でしたが、仲間やシェルパさんの励ましで11:25、山頂へ辿り着きました。仲間に抱きつき号泣、こんな嬉し涙は人生で初めてでした。
今回の挑戦に、沢山の人たちが応援の言葉を掛けて下さり私に力をくれました。その全てに感謝の気持ちでいっぱいです。