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イベント

沖縄空手体験記(その2)

その2「私と沖縄空手の出会い」

 私は極真空手を30年以上修行していますが、子供の頃は実家の目の前に住んでいたおじさんに別の流派の空手を習っていました。
当時は空手に沢山の流派があることも知らず、ただただそのおじさんに週2回、近くの公民館で空手を習っていました。
その後、父親の勧めで現在の極真会館に入門するわけですが、大学生の時にふと本屋で目に止まった空手雑誌を見てびっくり。子供の頃に空手を習っていたおじさんが表紙を飾っているではありませんか。
その時初めて、私が空手を習っていたのが、沖縄空手の達人許田重発(きょだ じゅうはつ)の教えを受け継いだ東恩流(とうおんりゅう)3代目宗家神崎和也(重和)先生だということを知ったのです。
大山総裁も学ばれていた伝統派4大流派の一つ剛柔流は、宮城長順(みやぎちょうじゅん)を流祖としていますが、宮城長順の師は東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)という方です。
そして、東恩納寛量には二人の高弟がいて、その一人が宮城長順、もう一人が、兄弟子にあたる許田重発(東恩流流祖)です。
つまり、沖縄に残って(本土にもよく訪れていたようです)剛柔流を起こし、世界に広めた宮城長順に対し、大分県別府市に沖縄から移住し、限られた門弟だけに東恩流空手を伝えたのが許田重発であり、その教えを受け、3代目を継承した神崎先生がたまたま私の別府の実家の目の前に住んでいたことにより、私は知らない内に沖縄空手を学んでいたのです。
 当時、神崎先生がおっしゃっていた「握り方3年」「立ち方3年」「三戦(さんちん)に始まり、三戦に終わる」などの言葉が今でも頭に残っています。
また、「空手は一生続けるものなので子供の頃は型の練習だけで良い」という指導方針のもと、私は小学生の頃は組手の練習など一度もしたことがなく、ひたすら型の練習をしていた記憶があり、これが空手なんだと思っていました。
 そういう練習がひたすら続くため、私の父が見ていて物足りなくなり極真空手に入門させたのは自然な流れだったのかもしれません。

その3に続く。
 

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