極真会館 大分県支部

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イベント

国東道場生が学校新聞で称賛されました

 国東小学校の学校新聞に国東道場生の素晴らしい行いを称えた記事が掲載されたので、ご紹介いたします。
以下、国東小学校の許可を頂けたので学校新聞の内容を転載します。

************* 国東小学校学校新聞「やどりぎ」―おもいやりのある人に― *******************

  先日、地域の方から電話を頂きました。国東小学校の子どもたちをほめる内容でした。
お話の内容は、ざっと次の通り。
「1月28日(日)、興導寺あたりで幼い男の子が泣きながら走っていったが、小学生と中学生が見守りをしながら追いかけて、随分遠くまで行ったようだ。後で聞くと、泣いていたのは3歳の子どもで、子どもたちはシゲヨシ葬祭場近くまで見守り、無事におじいちゃんたちに引き渡したそうだ。感心した。」とのこと。
 見守りをしながらついていった子どもたちは、4年生の長田爽太郎君、中学1年生の猪野翔也君、長田虎太郎君、その他、中学生2~3人とのこと。
 4年生の爽太郎君に事情を聞くと話の大筋は次の通り。「興導寺のふれあい公園でみんなと遊んでいたら、小さな子どもが泣きながらベストマートの方に向かって走っていった。みんなで、『危なくてやばそうだから、追いかけよう』と言って、その子のちょっと後ろからみんなでついていった。その男の子に事情を聞くと『おばちゃんのうちに行く』と言った。追いかけているうちに、ファミリーマートのところまで行った。そのうち、その子のおじいちゃんたちに会い、その子を引き渡した」ということでした。話を聞いてすばらしいなと思いました。
①幼い子どもが泣きながら走っていく様子を見て、「危ない」と思ったところ
②心配だから遊びをやめて、ついていったこと
③きちんと引き渡したこと
何よりも、「危ない」と、とっさに判断してすぐに行動したところがすごいですね。なかなかできることではありません。後ろから見守りながら見届けた行動、素晴らしいですね。
 

沖縄空手体験記(最終回)

最終回「沖縄空手体験記 まとめ」
 今回の沖縄の旅はわずか5日間でしたが、その内容は濃密であり、世界中の空手愛好者にとっては垂涎の旅であったと確信しています。
もともとは沖縄空手の達人に教えを受けるという武道雑誌の企画で、それが台風で中止になったのですが、出稽古を受け入れてくれる道場があるということが分かったため、沖縄空手エージェントや各先生に個別にお願いし、今回の体験稽古が実現しました。
雑誌の企画であれば、達人一人に生徒40人という形でしたので、かえって良かったと思っています。
 こうした経験が出来たのも空手を長く続けてきたからであり、三村師範のもとで現在も極真空手を修行しているからであり、実家の前の家にたまたま沖縄空手の伝承者が住んでいたという偶然のような必然が積み重なって、点が線になったという感じです。
ただ、空手初心者や子供たちに言っておきたいことは、最初の数年間は一人の信頼できる先生に師事して、しっかり基本を身につけることが大切だということです。
 自分の空手の軸ができていないのに、色々学んでも中途半端になるだけです。
 昨今はインターネット上に玉石混交の情報がありますから特に注意が必要です。
 私は現在極真空手を指導する立場にありますので、極真空手の大会で勝てるようにルールにのっとった技や、三村師範を通じて学んだ大山総裁の極真精神を道場生にしっかり伝えていきたいと考えております。
 それとともに、私自身が空手修行者、研究者としてまだまだ学ぶことが多いことを今回の沖縄の旅で確認できたことが何より嬉しく、毎日の楽しみが増えました。
 これからも空手修行は続きますが、空手は道場や大会だけではなく、人生に生かしてこそその真価が発揮されると思いますので、最後に私の好きな言葉を紹介します。
「長年修行して、体得した空手道の技が、生涯を通して無駄になれば、空手修行の目的が達せられたと心得よ  喜屋武 朝徳(きゃん ちょうとく。戦前の沖縄空手の大家)」
「侍は刀を常に磨いてさやの中におさめておく。抜かない。抜かないところに侍の価値がある。  大山 倍達」
 時代や場所が違えども、空手の達人がおっしゃっていることは同じですよね。でも、大山総裁の言葉には続きがあります。
 「(刀は)めったやたらと抜いてはいけない。でも、抜いたら一刀両断だよ。」
 つまり、常に体を鍛え、戦いに備えよということです。人生の荒波に負けるなということも意味しているのだと思います。
こうした理論だけではない実戦性というか迫力が大山倍達総裁の魅力だったと思います。
今回、お世話になった沖縄空手の達人の先生方、幼少期、沖縄空手に接する機会を作っていただいた神崎先生、そして、極真空手を創設した大山倍達総裁とそれを大分県に伝えてくれた三村師範を始めとした空手を通じて出会ったすべての人に尊敬と感謝を込めて。

                                  押忍  上原秀雄
 

大分合同新聞記事(1月5日朝刊)

大分合同新聞記事(1月5日朝刊)
 
 先日、日出若宮八幡神社にて開催された「奉納演武」が1月5日(金)の大分合同新聞朝刊に掲載されましたのでお知らせいたします。
 

2024年 奉納演武

2024年1月3日(水)速見郡日出町の若宮八幡神社において日出道場主催の奉納演武を開催しました。
始めに神殿にてご祈祷を受け、初詣の参拝者、宮司様や氏子の皆さんが見守る中、基本技から始まり、少年部の団体型演武と板割り、女子部の護身術、一般部による試し割り「角材折り」「二方割り」等の演武を行いました。
二段蹴りによる板割りは、蹴りの高さに来場者の皆さん驚いていました!

2月には、大分県空手道選手権大会が開催されます。
今年も気合を入れて稽古を頑張りましょう。

なお、奉納演武の取材に大分合同新聞社とケーブルテレビが来られました!

演武の様子は、コチラの写真ギャラリーをご覧ください

沖縄空手体験記(その8)

その8「沖縄空手の道場へ(沖縄剛柔流・古武道)」
 最終日に訪れたのは沖縄剛柔流空手拳士会です。
10段範士の外間哲弘先生のご指導を受けました。外間先生は海外の大学で空手に関する博士号も持つ研究者でもあり、他流派の高段者も国内外から学びに来る道場です。
 スティーブン・セガールさんなどとの交流の様子もyoutubeで視聴できます。
 また、外間先生の道場は空手博物館も併設されており、大変興味深い資料を沢山拝見させていただきました。
 その中には大山倍達総裁に関する記事や写真も掲載されていました。
 さらに、東恩納寛量の二人の高弟として剛柔流開祖宮城長順と沖縄から別府に移住し東恩流を興した許田重発の写真が飾られており、私が許田先生の東恩流継承者から幼少期に別府で空手を習っていたという話をすると「ものすごく貴重な経験をしていますね」と、許田先生がなぜ別府に移住したのか、どのような人物であったかなど、今回の沖縄滞在中で唯一許田先生について教えてくれました。
 こうした御縁が今の自分を作っているんだと思うと大変感慨深いものがあります。
 外間先生には、剛柔流ならではの接近性での円の動き、関節技、裏技、制圧術などをご指導頂いただきましたが、型の中にその動きの要素がちりばめられているらしく、「セイエンチンのこの動作はこういう意味です」という風に型を理解している生徒には教えやすいとおっしゃっていました。
その後に三戦と転掌の型を見ていただきましたが、その中でいただいた3つほどのアドバイス(引き手について、型の中に円を作ること、方向転換時の注意事項)がまさに目から鱗で、私の型の質が一気に向上した瞬間でした。
 最後に棒術の型を一つ教えていただきましたが、その時に手伝いに来てくれていた高校生ぐらいの年齢の青年は5歳から外間先生の道場に通っているらしく、見事な棒術を見せてくれました。
ちなみに、外間先生の道場では空手だけでなく、外国語で数字を数えたり、頭を使う練習があり、子供たちは知らないうちに異文化を学んでいるというのも特徴的でした。
さらに外間先生は書道師範でもあるため私も板に「空手に先手なし」という文字を書いていただきました。先生は多芸で、空手家というよりも文化人という印象を受けました。
 各地での講演も多いそうです。
 稽古後は米軍キャンプで働くアメリカ人道場生に近くの駅まで送ってもらいました。

最終話に続く。
 

沖縄空手体験記(その7)
 

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その7「沖縄空手の道場へ(沖縄剛柔流)」
 次に訪れたのは沖縄剛柔流空手順道館。金城常雄先生(範士9段)のご指導を受けました。金城先生は海外在住が長く英語が堪能なため外国からも多くの練習生が指導を受けに来ていました。今回は、空手ツーリズムのエージェントに紹介して貰ったこともあり、ほぼマンツーマンに近い形で休憩なく約3時間ご指導いただきました。
また、空手の道場の練習というと、指導者が前に立ち、全員が整列し同じ動きをするというイメージがあるかもしれませんが、こちらの道場は、それぞれが数人で練習し、先生や先輩が個別に指導するというボクシングジムのような稽古スタイルでした。
まず、最初に驚いたのが金城先生は70歳を超えた年齢ながら、技の動きが恐ろしく速いことでした。特に、相手の攻撃を捌いてからの反撃のスピードが尋常ではなく、あっという間に技を入れられてしまいます。特に関節を極めて制するまでが一瞬です。
また、剛柔流ということで極真空手と共通する型も多かったため、私の演ずる4種類の型を見て頂き、その後、沖縄剛柔流の型を演じていただき違いを説明していただきました。私の型が書道でいう楷書なら、先生の型は草書でした。
 競技用に整えられた型を練習することも十分意味があると思いますが、本来の型の動きを知るということも空手の奥深さを知るという意味で大変有意義なものでした。
 なお、同じタイミングでフルコンタクト系の空手の指導者が習いに来ていましたが、その方の道場では型の練習がほとんどないらしく「若いころは組手ばかりで良いが、年を取ると型を知らないとどうしようもなくなる」と嘆いていました。
 型の練習の後は巻き藁を使った寸頚(すんけい。数cmの距離から威力ある攻撃を出すこと)の技を見せていただきました。私も似たようなことはできますが、早さというか威力が見ていてわかるほど凄まじく、どういう体の使い方をしているのだろうと驚嘆しました。
 稽古後は、食事もご一緒させていただき、これまでの修行や指導についてお話をお伺いしました。話の中で時折発せられる、「私なんてまだまだ未熟者ですから」という先生の言葉に求道者の謙虚さを垣間見ました。この空手に対する姿勢は三村忠司師範からもいつも感じています。一流になればなるほどその道に終わりがないということが見えてくるのでしょう。

その8に続く。
 

沖縄空手体験記(その6)

その6「沖縄空手の道場へ(小林(しょうりん)流)」
 翌朝に訪れたのが沖縄小林流拳士会総本部です。
こちらは空手ツーリズムを行うエージェントに紹介してもらいました。
嘉数嘉昌先生(10段範士)のご指導を受けました。
稽古前のウォーミングアップと言ってバーベルを使ったサーキットトレーニングが30分ぐらいあり、80歳近い嘉数先生は毎日こなしているということで驚きました。
また、この道場の特徴として、60代~70代の女性の方が数多く練習に来られており、休憩時間には珈琲や茶菓子が配られるという和やかさがありました。
その一方で嘉数先生は元警察官で地元の顔役でもあったため、底知れぬ迫力があり、多くの流派の方が教えを受けに来るそうです。
今回もたまたま、私が空手を通じて以前から交流があった方の知り合いの方が稽古に来られており、良いつながりができました。
稽古では、小林流の基本であるナイハンチの型などをご指導いただきましたが、小林流の特徴でもあるムチミ(体を鞭のようにしならせる)を使う動きが新鮮で、沖縄空手っぽいなあと思いながら稽古をしていました。
小林流には多くの型がありますが、「平安1~5までをしっかりやっていれば全ての型が出来るようなっている」と嘉数先生がおっしゃっていました。これは私も自身の経験で実感しており、難しい型の動きを平安1~5までの中に昔の達人たちが見事に入れ込んでくれているのです。
最近は大会や審査用に多くの型が練習されていますが、少なくとも最初の10年くらい(もしくは黒帯取得まで)は平安1~5をやり込むことの方が大事ではないかと思います。
嘉数先生からは生涯の空手道を追究する気迫を感じさせていただきました。

その7に続く。

沖縄空手体験記(その5)

その5「沖縄空手の道場へ(上地流)」
 雑誌の企画内で沖縄空手の達人に会うことは出来なくなりましたが、諦めきれない私は沖縄空手会館内にある沖縄空手案内センターを訪ねました。そこで、以前から興味のあった「上地流(うえちりゅう)」の道場を紹介してもらいました。
 上地流は大分県内ではあまり聞きませんが、沖縄空手三大流派の一つで、開祖の上地完文が中国に渡り、現地の武人から伝授された拳法がもとになっているため、他の沖縄武術とは動きや構えが違います。
 また、型は八つのみであり、指先、足先など手足の先端を鍛練し武器として使う攻撃が特徴的です。防具をつけずに直接打撃を加えるというところは極真空手と通じるところがあります。私が訪問したのは上地流空手道那覇南修武館。島袋春吉先生(八段教士)にご指導いただきました。
(なお、他流派への出稽古では礼儀として特段の指示がない限り白帯を付けます。(道着も流派名がない無地のものが理想)また、どこの道場でも出稽古が出来るわけではありませんので注意してください。)
 島袋先生は極真空手のことも詳しく、約30年前に沖縄で開催された極真空手の九州大会の際に大山総裁の話を聞ききに行ったとおっしゃっていました。(私も高校生の部に出場していました)
 さて、上地流は、構えや動きが普段やっているものとかなり違うため苦戦しましたが、映像でしか見たことのなかった上地流の稽古が体験できて大変楽しいものでした。
 印象的な稽古としては、小手鍛えというものがあり、これは相手の突きを捌いて、そのまま手首を掴み、自分の前腕で相手の前腕を思いっきり叩くことを繰り返す稽古です。腹筋や太ももを攻撃されることには慣れている私も、腕の一点を繰り返しひたすら叩かれるという経験はなく、かと言って痛いから止めてくださいとも言うわけにもいかず、後で腕がパンパンに腫れました。
 また、甕(かめ。つぼ)を持って移動する稽古がありますが、甕が掴みにくく、握力が無くなっていくためこれも大変苦戦しました。後で調べると両手と背中を一体化して持つと長時間持てるようです。普段は教えるばかりなので、自分が出来ないことを教えてもらうということが新鮮でした。
 なお、稽古後に高段者の方と話をしていたら、昨年東京で開催されたツーリズムEXPOの会場で名刺交換をした沖縄県庁の空手振興課長さんだということが分かり、「300以上ある沖縄空手の道場の中でよくもピンポイントでこの道場に来ましたね!」と再会を喜びました。ちなみに、沖縄県は空手による観光に力を入れているため県庁内に空手振興課が日本で唯一あります。
 この出会いは、流派は違えど空手を続けていたからこそ生まれたものです。こうして約3時間の上地流の稽古を終えました。

その6に続く。


 

沖縄空手体験記(その4)

その4「いざ沖縄へ」
 私が沖縄へ出発する日の前日に旅行会社から「台風直撃の恐れがあるため、今回の沖縄空手の達人に学ぶツアーを中止します」という連絡が入りました。
仕事も調整し、久しぶりに取れた連休だったので、相当がっかりしたのですが、飛行機のチケットも取っていたためとりあえず沖縄に行くことにしました。
結果、台風は逸れ、首里城やひめゆりの塔などを沖縄在住の友人と観光することが出来ました。
ところで、沖縄(豊見城市)には空手愛好者には必ず訪れてもらいたい「沖縄空手会館」という施設があります。
これは、沖縄県が沖縄空手は世界に通じる財産であり観光資源だということを提唱し、沖縄空手の歴史を学べるミュージアムや稽古ができる武道場などを併設した施設です。
ミュージアムの中には沖縄空手の達人の紹介コーナーがあるのですが、先ほど名前が出た東恩納寛量、宮城長順、許田重発などと並び、近年の空手の達人紹介コーナーに極真会館創設者の「大山倍達」の名前がありました。
これはとてもすごいことで、沖縄空手関係者が違うグループ(フルコンタクト空手界)の大山総裁の存在を認めているということであり、他のフルコンタクト空手関係者の名前はありませんでした。
また、沖縄空手会館では、瓦割りにチャレンジするコーナーがあり、私が新記録を作ってきました。
なお、最近は試割り用瓦というものがあり、簡単に20~30枚ぐらい割れます。こちらの瓦は再利用可能なプラスチック製でしたが、通常の瓦と同じぐらいの強度と言っていました。
最近は演武会などの機会が少なくなりましたので、試し割りを見たことがない人も多いでしょうが、試し割りは空手の威力を示す良い方法だと思いますので、怪我をしないように部位鍛練などをしてチャレンジしていただきたいと思います。
ちなみに、私が空手着を着ていたため、沖縄空手会館に遊びに来ていた外国人観光客から一緒に写真を撮ってくださいとよく声をかけられました。
イタリア人の小さな女の子が、「I do Karate.」と話しかけて来たのが可愛かったですね。Karate は世界の共通語です。

その5に続く。
 

沖縄空手体験記(その3)

その3「極真空手と沖縄空手」
 極真空手に入門してからというもの、私は極真空手に夢中になりました。
大山総裁の内弟子出身であり、当時国内最年少で大分県支部長に就任した三村忠司師範、大山総裁にその技の美しさ・正確さを認められ海外での指導などによく派遣されていた三村政史師範(現福岡東支部長。当時、大分支部師範代)の教えを直接受け、その強さ、美しさに驚きと憧れを持って稽古していたことを思い出します。
その後も大山総裁の秘書兼通訳として世界中を同行した三村恭司師範からも可愛がっていただき、極真空手や大山総裁が世界に通じるものだということを学ばせていただきました。
その後、私は多くの大会に出場し、選手を引退してからも道場で長年指導してきましたが、大山総裁がそうであったように、私自身も他の格闘技、武道、スポーツの研究をすることが好きであったため、当然沖縄空手にも注目していました。
しかしながら、冒頭でも書いたように当時は他の流派の空手の道場に稽古に行くことはご法度であり、DVDや本などで学ぶしかありませんでした。
そんな中、2020東京オリンピックを契機にオールジャパンで日本の空手を盛り上げていこうという動きが生じ、極真会館もその流れをいち早く掴むとともに、原点回帰という意味もあり、型の中に剛柔流の動きなどを取り入れるようになりました。
そして、沖縄空手を学ぶチャンスを探していた矢先、武道雑誌の企画で沖縄空手の達人に学ぶ機会があることを知ったのです。
三村師範に私の思いを伝えると、「良い機会なので、沖縄に行って本物(極真空手のルーツにもなる)の空手に触れてきなさい」と温かく送り出していただきました。

その4に続く。
 

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